青い詩による青い話 - RADWIMPS「夢番地」-

d0018877_21505662.jpg若者の青さの中で、困ったまっすぐさは苦手だが、面白いまっすぐさは好きだ。見落としていることや忘れがちなことを思い出させてくれる。
RADWIMPS (かっこいい弱虫、の意味だそうだ。かわいい)は「夢番地」の中で、夢と現実、絶対値と比較値の狭間で揺れる心境を歌う。自分の行動を振り返るとき、自分の考えを整理する時、自分の幸せについて考える時。どちらを軸に据えるか、この 2 つの間で、私はよく行ったり来たりする。彼らのこの曲は、通常であれば夢>現実、絶対値>比較値になりがちなイマドキ論法に陥らず、現実や比較値にも価値を置いているところが好きだ。
「現実」には、どちらかというとマイナスのイメージが付いて回るように思う。それ以上は「夢」なのだ、という。しかし、過去から見れば、夢だったものが現実になっていることもあるということを、我々は忘れがちである。人間は貪欲だ。だから進化してきたのではあるが、現実は決して当然のものではない。これまで歩いてきた道なのだ。それを嘆く必要はない。
絶対値と比較値についても、少し似ている。
今の時代の流れから言うと、絶対値の方が優勢だろう。自分がどう思うか。自分がどうしたいか。自分がどうありたいか。それは正しいし、当然だ。他を見なければ自分の幸せがわからないなんて、他と比べて自分が幸せであることに安心するなんて、ナンセンスだ。
だが実際には、自分の位置は自分だけで決められるものでもない。状況をみて、自分の軸と掛け合わせて立ち位置を決めていくのは、決して悪い方法じゃない。他人を見て羨むのも、自分が成長する為にプラスになることもある。それに、自分もその羨まれる対象となっていることがあることを、知っていてもいいんじゃないだろうか。
よく、他人の価値観を尊重しよう、ということを考える。私は我が強いけれど、だからこそ却って思うのかもしれないが、同じように他の人にも「我」というものがあることを、あたまに置くようにしている。ま、冷静な時はね。ということは、逆に他人から見た「私の価値観」も、尊重されているものなのかもしれない訳だ。
現実と比較値を大切にすることは、もう一方の夢と絶対値の尊重にも繋がると思う。相反することは、常に背中合わせだ。だから実はとても近いところにあると思う。その微妙なバランス感が難しいし、そこが私は好きだ。
現実を、嘆くでもなく過大評価するでもない。夢みがちでもなく、絶望する訳でもない。難産だったというこの曲、若者臭さが漂っていてとても青いけれど、ついでに言うと、歌も特別うまい訳でもないけれど、私はとても好きだ。もう 1 年位前に出たアルバムの曲だけど、最近またはまって聞いている。
[PR]
by hiranori | 2007-12-13 21:51 | 音楽・本/漫画・映画・芸術・TV


<< ダイバーナンパ 配列数式 >>