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「学力低下」は何のせいなのか

陰山メソッドで有名な陰山氏が、現代の学力低下について、「そもそも(ゆとり教育の前提となった)詰め込み教育というものは存在していなかった」と書いていた。でも私は、あったと思う。
確かに小学校低学年、中学年あたりでは、そんな風に感じた覚えは無い。だが少なくとも中学・高校の頃、私は、点を取る為に勉強していた覚えがある。点が取れれば、誰にも文句を言われることは無かった。点数はあくまで中間の経緯に対する評価を客観的に行うもので、中身が伴っていれば自然とついてくるもののはずだった。それが「点を取る為の」効率よい勉強の方法、というものが主流になり、結果という名の点数のみが重要視された。結果から逆算した勉強方法。合理的で結果は出せるが、「勉強」という意味では本末転倒だ。これがいわゆる詰め込み教育なのではないのだろうか。もしかすると、テストで点が取れていることが中身を理解していることにならないなんて、思わなかった、ということだろうか。
しかし効率化することだって、悪いことではない。効率的に、いかに「勉強するか」。それであれば、むしろ良い筈だ。問題は、その焦点が違ってしまったことだ。焦点を誤ってしまったのは、一体どうしてなんだろう。
なんだか武士のようなことを言うが、日本は合理化の方法を誤ったのではないかと思う。合理化というのは、中身が伴ってこそ、合理化することができる。中身の無い合理化は、物事の表を撫でて通り過ぎるだけだ。例えば会社でも、経験者、概して年長者になる場合が多いが、はこれまでの基礎があるので、合理化するということができるように思う。好むかどうか、実際にやるかどうかということは置いておいて。しかし、若者は、というと語弊があるが、経験も知識も何も無いのにいきなり合理化≒簡略化するのが当然だ、という中で動かなければならないケースがあるように思う。基礎が無いのにいきなり応用から始めてしまったような、つまりは中身が薄っぺらですっからかんのような、そんな感じを受ける。これは自分についても思うことで、結局基礎がなってないんだな、と思うことがある。勿論、小さなことから丁寧に教えてもらえて、徐々に成長する、という環境に、幸運にも置いてもらえている、のではあるが。
私は昔から、とにかく数字、算数、数学が苦手(というか、嫌い)で、それについては点さえ取れれば免除されることで助かっていた(学校のテスト位はやり過ごせた)。でも結局点が取れていたのは、国語だったり英語だったりする訳だ。国語はむしろ、テストの為の勉強、が思いつかなくて困ったし、英語は、いかにマニュアルどおりでない解答を作るか、に心を砕いていた(天邪鬼だから)。どちらにも共通しているのは、好きだったし面白かったことだ。基本的なことだが、これが勉強だったのだろうと思う。
学力低下の原因が教育側の問題なのかどうか、というところは、考える余地があると思うので置いておいたとして、教育の分野がリードすべきところは、何だろう。私の場合、興味を持つというスタート時点については、教育どうこうというより、単に私の興味にひっかかったから、ということだったように思う。ただここから伸びるかどうかという点においては、相対する先生方の能力は大きくものをいうと思う。情報提供や、質問した時の対応によって、その伸び具合や興味の深さは変わってくると思う。教育を受ける者、特に子供は、本物・偽者に敏感だ。本物による対峙が必要で、教育者というのはかなりタフなことを求められていると思う。そして勿論、「興味に引っかかるかどうか」のスタート地点を、作り出すこともできると思う。
陰山氏は、基礎計算や読み書きの反復と共に基礎生活力の回復を提唱している。これについては私も同意で(私が偉そうに言うことではないが)、ごく当たり前の、基礎的な人間力みたいなものはあって然るべきだと思う。例えば彼の言う、早寝早起きとか朝ご飯をちゃんと食べるとか、バレーの植田監督の実践した、挨拶をきちんとする、とか、そういうことだ。ただこれも、じゃあ本当に出来ていないのか、例えば「現代の子供は」なのかというと、単純に肯定もできない。集団になった場合に、良いにせよ悪いにせよ偏る傾向があるということは言えると思う。よって、例えば学校であったり地域であったり家族であったり、集団としてまとめられる場合は、そこでの軌道修正は必要であり、効果的だと思う。
また陰山氏は、「昔は子供同士でおやつを分け合うなど身近なところに数字があったのだが、そういう光景が無くなった」ということも言っていた。日本は合理化・効率化を進めると共に、個人化・孤立化が進んでしまったと思う。いわゆる核家族の更に進化版、というか。こんなこと、思いっきり個人主義の私が言うことじゃないのだろう。ただ、自分でも、それが自分に及ぼしているデメリットを理解してはいる。そして、この解決方法が「個人を解消すること」かというとそれも違う気がしていて、個人だということを分かった上で行動できるようにしなければならない、と思う。
さてと。勉強についてちょっと考えたところで、私もさぼらずに「効率良く」勉強しなくちゃ。こういうことを考える時に、大人になってよかったかも、と思ったりする。大丈夫、まだまだ勉強する機会はあるんだぜ、ガキンチョたちよ。しっかり体力つけて、大人になれよ。
by hiranori | 2008-08-27 21:50 | 考え事


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